数値シミュレーションによる物質科学

物質は無数の粒子(原子核と電子)で構成されており、その多様性は膨大です。自然界に存在する物質、あるいは、これまで人工的に合成された物質は、そのごく一部にすぎません。物質の可能性を探るためには、最新のスーパーコンピュータを用いた数値シミュレーションが有効です。

多体摂動論を用いた電子状態計算

凝縮系物質の最も標準的な計算手法は密度汎関数法(DFT)ですが、バンドギャップが過小評価されるなどの問題があります。DFTで模型化されて導入されている「交換相関汎関数」を多体電子論の「自己相互作用演算子」を用いて補正する(※1)ことにより、精度を向上できることが知られています。この次世代型の電子状態計算手法を用いることにより、これまであまり研究が進んでいない「物質の励起状態」の研究に分け入ることが可能になります。

野口らは、CdSeクラスタ[1]やアルカリ原子(Li, Na, K)や水素原子を内包したフラーレン(C60)[2]、warped nanographeneとよばれる5-7員環の欠陥を持つ炭素クラスタ[3]の光励起スペクトルの特徴を明らかにしてきました。計算による励起スペクトルを実験値と比べることにより、今後、これらのクラスタの構造をより詳細に決定できるものと考えられます。

弘瀬や宍戸はこの手法を用いて計算を行い、小さな分子や菱形構造を持つナノグラフェンにおける多体効果について明らかにすると同時に、多体摂動論の限界についての議論を行いました。

(※1)いわゆるGW補正のこと
[1] Y. Noguchi et al. (2012)
[2] Y. Noguchi et al. (2013)
[3] Y. Noguchi et al. (2015)

固液界面の構造と化学反応動力学

界面で起こる非平衡動力学は現代の物質科学の重要課題です。

貴金属と水溶液の界面はその典型的例であり、中学の理科で習う水の電気分解や燃料電池反応といったものを微視的に理解することは、実は19世紀からの課題です。電気自動車などに用いられているリチウムイオン二次電池は、物質探索が功を奏してそれまでの二次電池を刷新したわけですが、非平衡動力学のレベルからの理解が進めば、新しい原理の電池すら見つかる可能性があります。

Born-Oppenheimer近似に基づくいわゆる第一原理分子動力学計算は、固体電子論を用いた(原子核の)非平衡動力学の計算手法です。本研究室ではこの手法を発展させ、白金と水の界面における水素発生の動力学(前半のVolmer反応とよばれるもの)[1]や酸素還元反応(酸素が水素イオンにより還元され水になる反応)[2]の様子を明らかにしました。[2]では白金と他の貴金属の違いについても研究を行いました。

これらの研究は、有限温度、有限電位の下で白金と水の界面にどのような双極子場が形成され、どのように水の水素結合網が形成され、その結果どのような化学反応が起こるのかを追跡する壮大な計算機実験です。もちろん多くの近似の下で計算を行っていますので、その定量性の評価はこれからの課題ですが、恣意性を抜きにしてどのような化学反応が起こるのかを調べられる段階に到達しています。

[1] M. Otani et al.(2008)
[2] Y. Okamoto et al. (2010)

笠松らは同様な手法を、将来の燃料電池車向けの白金代替物質(ZrO2等)に対して適用し、開発への貢献を行っています。

ここで用いたシミュレーションは10ps以下の短いものですが、固体電子論を用いた計算結果を再現するようなイジング模型を作り、モンテカルロ計算を行うことにより、統計的な観点から正確な結果を得ることができます[3]。この研究は白金上の水素原子の吸着という簡単な系に対するものですが、さらに発展させてより複雑な系に適用できるようにしたいと考えています。

[3] T.T.T. Hanh et al. (2014)

ホタルの発光物質

ホタルの発光はルシフェリンという分子が担っています。これは物性研内の秋山研究室の研究課題です。野口は秋山研との共同研究を行い、第一原理分子動力学計算と多体摂動計算を行い、この物質の励起スペクトルの解明に挑んでいます[1]。完全な解明のためには、水溶液内でどのような構造をとり、光で励起された後にどのように緩和が起こり、そして発光に至るのかを調べる必要がありますが、その第一歩の計算となります。

[1] Y. Noguchi et al.(2014)