ESMFPMD

1. はじめに

水の電気分解をはじめとして、環境・エネルギー問題の解決に貢献するものとして開発が期待される燃料電池や次世代Li電池、あるいは先端技術をささえる電気めっき、エッチング(電解加工)など様々な電極反応をする電気化学系がある。ルイジ・ガルバーニによる動物電気の発見を嚆矢とすれば、電気化学系の研究はおよそ230年の歴史を持つ。

しかしながら、この系は他の化学反応系と異なって、外部電圧の存在が本質的であり、それを微視的な理論に取り込むことが難しいため、現象の原子・分子のスケールでの解明は手付かずで残されてきた。これは、電極界面での複雑な溶媒効果と電極電位の効果を両方取り入れることが困難であったからである。理科の実験でもおなじみの水の電気分解のカソード反応(水素発生反応)に限定しても問題は容易ではない。電極の近傍で電子はどのように状態を変え、イオンあるいは電極から移動するのか?原子や分子はどのように振る舞っているのか?化学の問題でもあり、物理の問題でもあり、また、サイエンスとしても技術開発の立場からも、その解明が待たれていた。

最近、東京大学、大阪大学、日本電気(株)、および産業技術総合研究所の研究者からなる産官学合同の研究グループは、電極反応ダイナミクスを微視的に解析するシミュレーション法を用いた大規模計算によって、白金(Pt)電極におけるカソード反応の詳細を明らかにすることに成功した。この研究は、日本物理学会発行の英文学術誌Journal of the Physical Society of Japan (JPSJ) の2008年2月号に掲載された。

2. 水素発生反応とシミュレーション

カソード反応は以下のように2段階で進むと言われている。まず、溶液中の正に荷電したヒドロニウムイオン(H3O+)が電子移動反応して、水分子と電極表面に吸着したH原子とに分解する(フォルマー過程とよばれる)。次に、この吸着したH原子が表面拡散により2個集まって水素分子(H2)となる反応(ターフェル過程)や、吸着H原子の位置でH3O+が電子移動反応をすると同時にH2分子が生成する反応(ヘイロフスキー過程)が続く。

本研究ではフォルマー過程に焦点を絞り、図1に示すように、電極として白金36原子、水溶液として水32分子にH原子を1個入れた(セルが3次元的に周期的に並んだ)系について、80℃という燃料電池の動作温度で、電圧を印加するという現実的な条件で「第一原理分子動力学計算法」による解析を行った。各時刻の分子・原子位置に対する電子の量子力学的状態を密度汎関数法を用いて求め(第一原理電子状態計算)、それから求まる分子・原子に働く力に従って原子・分子の位置を動かす(分子動力学法)。両者を合わせたものが本研究でいう、「第一原理分子動力学計算」である。

図の説明:シミュレーショ基本セル。赤丸・白丸はそれぞれ酸素原子・水素原子を表す。緑線は水素結合を表す。

3. 計算結果

電圧印加に伴う問題を克服するために導入されたのが大谷・杉野の両氏が構築した有効遮蔽体(ESM)法である。電圧下においても、シミュレーションの対象となる系全体では電気的中性を保つように定式化したことがこの方法のポイントである。水中には正に荷電したヒドロニウムイオン(H3O+)が形成されているが、このESM法の導入により、それがフォルマー過程を起こすことを見事に捉えたのが図2である。この第一原理計算には、電子の量子状態の時間変化(すなわち、電子の移動反応)も取り込まれていることが重要である。実際、この電子移動過程における、各原子の電荷に対するシミュレーション結果を追うと、この過程に伴われる量子力学的特性を知ることができる。

図2 水素吸着反応の様子(左→右)。矢印の先の水素原子が白金表面に吸着する。シミュレーション開始後(5.27 ピコ秒、5.29 ピコ秒、5.32 ピコ秒)

なお、この電極反応ダイナミックスの詳細は以下のムービーで見ることができる。
(1) ヒドロニウムイオンが電極に近づいて、水分子が整列する様子のムービー
(2) 電子移動過程とそのあとの水分子の挙動と、吸着水素の拡散のムービー
(3) 電子移動過程における、各原子の電荷の変化のムービー

4. 意義

本研究のシミュレーションは電極反応で最も基本的な水素極の電子移動反応を見ることにあったが、今後は、水素分子生成までの完全なシミュレーションを行うと同時に、白金電極の種々の条件、すなわち、結晶表面の切り出し方、テラスやキンクなどの表面構造、さらに合金元素などの影響をシミュレーションすることにより、最適な電極材料探索の指針が得られるであろう。さらに、燃料電池開発で重要な酸素極に対しても本方法を適用することで、その開発が促進され、より安価で高効率な燃料電池電極触媒の開発に結びつくものと大いに期待される。